「樹名板」考・その壱。「要る」or「要らない」? 《知りたい》と願う人の気持ちが私にはよく分かるのですが…。
暖かさに誘われて22日、マウンテンバイクにまたがって家を出ました。市街地を走っているうちに里山の雑木林を歩きたくなり、散策路の入り口に向かいました。
いきなり上り坂。四月下旬並みという季節外れの陽気とあって、すぐにうっすらと汗が…。森の中は明るく、もうすっかり本格的な春の装いを感じます。
この里山、時々訪れるのですが、いつもは運動が主なので早足で歩いたり、時にはジョギングをしています。
ですが、今日は暖かい木漏れ日をたっぷり浴びながら、のんびりと歩きました。
のんびりと歩くと、忙しないいつもと違って、木々の姿がしっかりと網膜に飛び込んできます。
葉の形は?
冬芽の具合は?
幹の感じは?
時々、立ち止まっては《この木、なんの木?》と考えたりします。
《そういえば、この雑木林、樹名板がほとんどないなー》
思い返すと、市街地に接する散策路の入り口では何枚か目にしました。
子どもたちが幹を薄く輪切りにした板に木の名前を書き込み、自分で木にかけたのでしょう。素朴ながら味がある、なかなかいい樹名板でした。
別の散策路入口では、管轄する行政機関が設置したのでしょうか、印字されたものを目にしました。
ですが、森の中で目にしたのは、クスノキの古木と枝垂桜だけ。いずれもシンボルツリーといった感じで、樹名板というよりは説明板でした。
その点、日進里山リーダー会がメーンフィールドとして活動している日進市の北高上緑地には、以前から結構多くの樹名板が付けられています。
木の名前を覚えるのが得意でない私は、とても助かっています。それでもまだ覚えきれず、今でも木を前にして《うーん、これはなんの木?》と考え込んでしまうことがしょっちゅうあります。ですから、《樹名板がもっとあったらいいなぁ》と常々思っています。
木漏れ日の中を歩きながら、今年初め中日新聞生活面に掲載された「くらしの作文」を、ふと思い出しました。
75歳の女性が投稿した「この木なんの木?」という題の作文です。
散歩コースの途中に気になる木があります。存在感がある木なのに、名札が付けられていません。市役所に聞いても分からず、自分なりに調べてみようと思い立ちました。手掛かりは落ち葉だけ。蔵書の中に落ち葉の絵本があるのを思い出して調べた結果、『エノキ』ではないかと判断しました。これからも身近な樹木などに目を向け、楽しい時間を過ごしたいですね。
ざっと、こんな内容でした。
この作文を読んだ時、3つの点でこの女性は素晴らしい人だなと感じました。
一つは、「気になる木」の名前をどうしても知りたくて、市役所に問い合わせをするという行動にまで出た点。
もう一つは、市役所に聞いても分かりませんでしたが、そこであきらめず、自分なりに調べてみようと思い立った点。
そして、蔵書の中に落ち葉に関する絵本があることを思い出し、落ち葉の特徴を手掛かりにいろいろ調べ、ついに「エノキ」と突き止めた点です。
この女性の場合、蔵書として落ち葉についての絵本を持っていたという幸運がありました。
でも、《この木なんの木? どうしても名前や特徴などが知りたい》と思っても、それがかなわない人もいることでしょう。
《そうした人のために何かお役に立つことができないだろうか》と、私は思ってしまいます。
私自身にそうしたニーズがあるからでもありますが、北高上緑地でも散策している高齢の女性らから「樹木の説明板がもっとあるとうれしいのですが…」という声もよく聞きます。
「知りたかったらインターネットで調べたり、図書館へ行けばいい」と言う人もいるかもしれません。
でも、人によっては、インターネットを使える環境にないとか、図書館や書店に行くことができないなど、いろいろ事情がある人もいるでしょう。
それに、手掛かりとなる花が咲く時期は一時的だし、葉を調べようにも高木の場合はとても手が届かないので、鋸歯があるのか全縁なのか、対生なのか互生なのかなど、同定に必要な情報が得られないケースもあるでしょう。落葉樹の場合、冬は裸木。落ちている葉が、名前を知りたい木のものとは断定できません。
それなのに、「自分で調べれば…」と突き放す気には私はなれません。
最低限、名前さえ分かればしめたもの。あれこれ調べれば、いろんなことを知ることができるきっかけになるでしょう。面白い話、「へぇー」と思う意外な話…。名前が分からないと、未解決の宿題がいつまでも残ったような感じでストレスがたまります。
とはいえ、《市街地の街路樹と違って、自然の森の中にむやみに人工の樹名板を付けるのはいかがなものか》と思ったりもします。
でも、住宅地のすぐそばにある里山や緑地の場合、それほど違和感はないような気もします。
一部の登山者しか訪れない山また山の奥山の場合、人工の樹名板があちこちにあれば私でも興覚めしてしまいますが、子どもからお年寄りまで多くの市民が気軽に散策に訪れる里山や緑地なら、情報提供の一つとして樹名板がある程度あってもいいと思います。
かといって住宅団地の真ん中に設置され、滑り台やブランコなどの遊具がある公園とは違うのですから、おのずと自然とのバランスは必要になるでしょう。
十人十色で、多くの人に聞けば、さまざまな意見が出てくると思います。
「要る」
「要らない」
「ある程度はあってもいい」
「もっとあってもいい」
……。
悩ましい問題ですね。皆さんの意見を聞きながら、もう少し、いろいろ考えてみたいと思います。