里山って いいな

北高上緑地に集う仲間たちの活動や防災問題について綴っていきます

室町時代に生まれた凄まじい「愛欲」劇。「テイカカズラ」の名の由来を調べてみると、「へぇー!」と驚くことばかり

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小さな葉ながら なかなかの存在感

 北高上緑地南入り口からアプローチを歩き、何段かステップを登った堰堤のすぐ北側。辺り一面、地を這って生育するつる性植物が目に飛び込んできます。つるの葉は長さ1~2㌢。とても小さいのに、本当に「辺り一面」という感じで、周囲の高木をすら圧倒しそうな不思議な存在感があります。
 「『テイカカズラ』です」。一緒に歩いていた日進里山リーダー会の先輩が教えてくれました。
 周囲をよく観察すると、高木の幹に張り付くようにしてつるを伸ばしています。何か、すごい力を感じます。
 「カズラ」というのは「蔓//葛」で、「つる草」のこと。*1 
 では「テイカ」とは?
 何か気になり、帰宅後すぐにパソコンを開いて「テイカカズラ」と入力して検索、いつも訪問しているいくつかのwebサイトをのぞいてみました。
 

「テイカ」は有名な歌人藤原定家の「定家」?

 疑問の一端は、すぐに解けました。
 「テイカ」とは「定家」、つまり「テイカカズラ」とは「定家葛」だというのです(Wikipedia)。「定家」といえば、あの有名な歌人、「藤原定家」のことなのでしょうか。「藤原定家」は、平安時代後半から鎌倉時代に活躍した公家、歌人で、「小倉百人一首」を編集したことで知られています。

 さらにいろいろ調べていくと、困ったことに名前の由来についてさまざまな説が紹介されていて、頭が混乱してきました。
 多くのサイトを総合すると、どうも次のようなストーリーのようです。
 「平安時代の終わりごろのこと。歌人として知られる藤原定家後白河法皇の第三皇女式子内親王を慕い続けていた。ところが、恋が成就しないうちに内親王は亡くなってしまう。内親王を想う定家の執心が葛となって内親王の墓に絡みつき…」(「季節の花300」など)
 「式子内親王」の「式子」は、いろんな読み方がありますが、「しょくし」あるいは「しきし」と呼ばれることが多いそうです。
 大まかなことは分かってきましたが、これだけではまだよく分かりません。ただ、定家と式子内親王をめぐる伝説を脚色した謡曲「定家」に由来しているのは間違いなさそうなので、「謡曲『定家』」と入力して検索してみました。検索結果一覧を見て、だんだん楽しくなってきました。面白そうなタイトルも並んでいます。

「これは大スキャンダルですよね」

 これらの中で最も気になったのが「能楽『定家』が描く愛欲地獄 | nippon.com-You Tube」。公益財団法人日本ドットコムが運営するサイトnippon.comの中で紹介されています。タイトルをクリックすると、「能楽『定家』」の舞台動画がスタート。
 「これは式子内親王の御墓にて候」
 「またこの蔓をば定家葛と申し候」
 出ました、「定家葛」―。いきなり、登場です。
 f:id:miffy17s:20201212131952j:plain:left:h460この後、突然舞台シーンを外れて二十六世観世宗家の観世清河寿(2014年の収録当時。2015年、以前の「清和」に改名)が現れ、やや興奮気味に、こう語ります。
 「これは大スキャンダルですよね」
 ええっー、大スキャンダル!?
 一体、どういうことなのでしょうか? いろいろ調べまくりました。
 式子内親王は賀茂斎院も務めていました。普通の内親王と異なり、結婚も男女交際も許されなかったのが、伊勢神宮賀茂神社に仕える斎宮、斎院。神に天皇の代理として出仕するため、潔白でなくてはいけないからだそうです。
 といっても、斎院たちも任期が終わって宮中に戻ればごく普通の内親王。結婚もできたと言われています。では、式子内親王と定家は、どんな関係だったのでしょうか。 

2人の関係は、高貴な内親王と臣下

 調べてみました。
 式子内親王は歌の才能があり、藤原俊成を師としていました。内親王の歌は、実は百人一首にもあります。
 「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ることの 弱りもぞする」
  へぇ~、そうだったんだ。知りませんでした。人気の歌で、私も知ってはいましたが、式子内親王の歌だったとは…。
 そして、その俊成の子が定家。定家は内親王家で小間使いのような仕事をしていたそうで、内親王とも交流があり、定家の日記「明月記」に内親王のことがしばしば登場するのだそうです。何か思わせぶりな書き方もされていることから、2人は深い関係だとうわさされたとか。
 うわさはされても、2人は高貴な内親王と臣下。当時、内親王のような高貴な女性は自由に恋愛することができず、公になることもなかったので、はっきりとしたことは分からいようです。このため、2人の恋愛は後世の創作だと考えられているそうです。

室町時代に生まれた創作「愛欲」劇

 能楽「定家」の作者は金春禅竹(こんぱる・ぜんちく。1405-1470ごろ)。禅竹世阿弥の娘婿で、内親王と定家の死後も続くラブストーリーを編み出したのは室町時代のことです。
 史実ではなく創作と考えられているもう一つの根拠は、2人の年齢差。定家(1162ー1241)より式子内親王(1149ー1201)の方が13歳年上です。定家が内親王に初めて会ったのは1181年とされています。誕生月を無視して単純に計算すると、この時、定家は19歳。内親王は32歳なので、次のように考える人もいます。

式子内親王のほうが一回りほど年上なので、個人的には生々しい関係というよりも定家にとって「初恋の人」だったんじゃないかなあと思います。                     ーBUSHOO!JAPAN

 しかし、禅竹は作品の中で、「片思い」などではなく「ともに邪淫の妄執」と表現しているところが面白いですね。興味がある方は、能楽「定家」をもう少しかじってみてください。ほかにも興味深い要素が、この作品にはたくさん詰まっています。

実在する式子内親王の墓に、果たして蔦蔓は…

 f:id:miffy17s:20201212132103j:plain:right:h4602人の関係の真相はともかくとして、京都市上京区式子内親王の墓があるそうです。webサイト「京日記 花がたみ」やフリー百科事典「ウィキペディアWikipedia)」の「式子内親王」のwebページなどには、その写真も掲載されています。
 能楽「定家」の前半で、定家の妄執が蔦蔓となって絡みついた内親王の墓が置かれています。とてもシンプルな小道具なのですが、2人の関係を暗示するかのような、おどろおどろしい感じが漂っています。しかし、現実の写真を見ると、能の舞台から想像されるようなすごみはなく、蔦もまとわりついていません。当たり前かもしれませんが…。一度、ぜひ訪ねてみたいと思います。

 こうして次から次へと調べていくと面白くて面白くて、時がたつのを忘れてしまいます。振り返ってみると、3日くらいはパソコンにかじりついていました。
 《さあ、調査もこのへんでおしまいかな》と思っていたら…。
 プリントアウトした膨大な資料を読み返しながら整理していて、ある部分に目が釘付けになりました。

「定家」ではなく「法然上人」?!

式子内親王の秘めた思い人は定家ではなく、法然上人だったという説が浮上しているようである。             
           ー謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド

 《ええっ、「法然上人」?!》
 どっと、疲れが出てきました。真相はともかく、内親王のお相手は「定家」だと思い込んで、何時間も調べてきたのに…。
 そんな愚痴を言っていても仕方がありません。《頭を切り替えて、再出発!》と思っていた途端、今度は、"とんでもない"資料が目に飛び込んできました。プリントアウトした時、読み飛ばしてしまっていたようです。資料には、こう書いてあります。

今度は、「定家」ではなく「庭下」?!

「テイカ」は「定家」ではなく「庭下」であり、庭の下の方に咲く葛の花を意味するという説の方が有力視されている。   ーWikipedia

 《ええっ、「庭下」?! 「テイカ」というのは、人の名前ではなく「庭下」?! 一体どういうこと?!》
 もう深夜、疲れ切って頭が回りません。
 最後の最後で、思わぬどんでん返し、といったところです。
 でも、森の中の林床に這う姿を思い浮かべると、その雰囲気と名前がぴったり合います。《そういうことか》と、納得してしまいそうな気がします。
  
 藤原定家式子内親王謡曲「定家」→賀茂斎院→藤原俊成百人一首→明月記→金春禅竹法然上人…。
 暇に任せて、いろいろ調べてきました。調べたといっても、素人ですし、独自に調査したわけでもなんでもなく、ネットサーフィンしただけのことですが…。それに、大事な資料を読み飛ばしているかもしれません。もっともっと調べなければならないのかもしれません。
 著作権の絡みで画像や動画のデータをこのブログに引用していいのかどうかわからないため、式子内親王藤原定家の絵、内親王の墓の写真、能舞台の動画など、今回は貼り付けることを断念しました。興味がある方は、webサイトなどでご覧になってください。

樹木名の由来調べは楽しい!!

 私は専門家でも研究者でもないので、何が真実かは分かりません。でも、樹木の名前の由来をたどっていくことが、こんなにも楽しいのだということを初めて知りました。
 今回の場合は、一つの樹木の名前から平安~鎌倉時代の歴史、葵祭で知られる賀茂神社と斎院、そして能楽まで…。どんどんどんどん広がっていきました。
 知っているのと知らないのとでは大違い。里山で出会う樹木とも、今までとは向き合い方が違ってきます。
 《この木の名前の由来は?》。里山を歩いていて、心にちょっとでも引っかかったら、いろいろ調べてみてはいかがですか。肩も凝るし、目もしょぼしょぼしてきますが、とても楽しいですよ。


f:id:miffy17s:20201212131842j:plain:left:h320 【テイカカズラの花が咲くのは5~6月。直径3㌢ほどで甘く香り、初めは白色で、咲き進むとクリーム色に変化します。扇風機の羽根のように、少しねじれて咲くのが特徴です。花言葉は「優雅」「栄誉」「依存」など(「庭木図鑑 植木ペディア」など)】










【出典、引用、参考webサイト】
テイカカズラ/NHK出版 みんなの趣味の園芸 育て方がわかる植物図鑑
テイカカズラ/庭木図鑑 植木ペディア
テイカカズラ植物生態観察図鑑
テイカカズラ/季節の花300
テイカカズラ藤原定家式子内親王賀茂神社、斎院/フリー百科事典「ウィキペディアWikipedia
・蔓//葛/平凡社 世界大百科事典 第2版
式子内親王/ピクシブ百科事典
能楽『定家』が描く愛欲地獄 | nippon.com/公益財団法人日本ドットコム nippon.com
・能 定家(ていか)/鎌倉能舞台
・愛執の定家葛、式子内親王が「しょくし」なわけ/長岡京 小倉山荘 小倉百人一首あ・ら・かるた
・室生流謡曲 定家/アサカノユーユークラブ 小原隆夫のホームページ
・定家 ていか/謡蹟めぐり 謡曲初心者の方のためのガイド
式子内親王藤原定家の関係―恋をせずとも恋を詠むのがプロ歌人/BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
式子内親王の御命日、式子内親王様の紅葉/京日記 花がたみ
百人一首に選ばれた皇女・式子内親王/日本の歴史.com

*1:カズラ=蔓∥葛 つる草の総称。上代つる草を髪に結んだり,巻きつけたりして頭の飾りとし,これを鬘=かずら=といった。そのためつる草を〈かずら〉と称するようになったという。鬘は〈髪つら〉の略,〈髪つら〉の〈つら〉は〈つる〉の古名で,長く連なるので〈つら〉といったものらしい。出典:平凡社 世界大百科事典 第2版